空きっ腹にたましい

初谷むいのたのしいブログ

8/7.8 才能あるってゆってください

たぶん鬱のゾーンに入った。先月はかなり調子が良かったんだけど、この感じだとあんまり今月は良くなさそうな気がする。なんかしらんけどわたしは月の半分鬱になり月の半分くらい元気なのだ。

鬱になるにはスイッチが必要だ。今日、会社で時間を測る役割をしなくちゃいけなくて、わたしは時間を測るのがすごく苦手で、タイマーを使って指定された時間になったら合図をする、というただそれだけのことができなかった。たぶん今回はそれがスイッチだったのだと思う。鬱モードになると、頭の動きが鈍くなって、息が少しくるしくなって、胸が痛くなるからわかる。気持ちの振れ幅が激しくなる。ときどき頭の中で、わたしを責める声が聞こえる。声というか、声っぽいときもあるけど気持ちの塊みたいなものがわたしを責める。むかしはその声が怖くて、たくさん泣いたり、謝ったりしていた。今はまあこんなもんかーと頑張って気にしないようにしている。今日も鬱モードになってからはちょっときつかった。鬱モードのわたしは自分のことがとてもきらいになるから、頭の中で、太宰治ヴィヨンの妻の、「人非人でもいいじゃないの。わたしたちは生きてさえいればいいのよ。」を唱えて耐えた。そうだ、生きてさえいればいい。

基本的な人生の方針として、自分にも他人にも、生きてさえいればいい、と思っているけれど、そう思うのは、結局自分自身を許してあげたいからだと思う。ずっと許せなかった。何をだろう。わかんないけど、多分、こうして元気に生きていることとかなのかな。だれかを許すのは、自分が許されたいからだ。わたしは大抵のことにあまり腹が立たない。たいへんだったんだね、と思う。それは心の機構として、というよりも、根本にそういう気持ちがあるのだろう。わたしは、とても傲慢だ。

得意なことなんて何1つなかった。1つでいいから欲しかった。わたしは外見のうつくしい女の人が好きだった。うつくしい女の人になりたかったけど、わたしはうつくしくなかった。身体も小さくて、いろんな部品が不格好だ。運動もできない。勉強はすこしだけできたが、わたしより頭のいい人は死ぬほどいた。絵を描くことや歌を歌うことが好きだったが、とてもできる、といえるものではなかった。

文章だけが書けた。書けた……のかどうかはわからなかったけど、わたしはわたしの文章が好きだった。短歌を山田さんに褒めてもらってから、短歌をやりはじめた。やればやるほど、おもしろかったし、おもしろかったぶんだけ誰かが褒めてくれた。きっと、わたしには才能がある。ある、と願ってしまう。わたしはわたしをゆるすためのピカピカの免罪符をゲットしたのだった。わたし短歌ができるよ。誰もわかってくれなくたって、できるよ。生きてていいよねえ。

 

あー、くそだ。

 

自分をゆるすための芸術なんてクソかもしれない。わたしの大嫌いな、自己満足かもしれない。でもこれしかないんだよー。わたしにはこれしかないんだ。ごめんなさい。ゆるしてください。わたしには、これしかないんです。

 

鬱は良くないですね。この内容もあんまり良くない。なんかおいしいものたべにいってげんきださないとな。

 

てゆーかなんにもできなくたってほんとはだれもだれのことも責めることはできないんだよ。そんな人は世の中にいないとおもうし、いたとしてもわたしはそんなことで誰のことも責めたくない。わたしは、自分の大好きな人たちがこんなこと言ってたら、悲しくて泣いてしまうだろう。その人の好きなところを100個伝えるだろう。でもねーそういう理屈の部分じゃないんだよ。かなしいよー。

 

♡今日の短歌♡

だめなんだ、とおもう ひまわりの種かぞえつついくつかの種の花になれなさ

 

♡今日の音楽♡

two moons/toe