空きっ腹にたましい

初谷むいのたのしいブログ

ナイス害「フラッシュバックに勝つる」の話

ナイス害さんの私家版の歌集、「フラッシュバックに勝つる」を読みました。
ナイス害さんは「なんたる星」メンバーでおなじみの歌人であり、飄々としていてどこか掴めないような印象のある彼が、どこまでも真剣に戦っているのがこの、「フラッシュバックに勝つる」だと思う。装幀デザインがまずとても素敵で、はらだ有彩さんのイラストがよい。あとがきで、歌集のコンセプトのキッカケやヒントをくれたのがはらださんだ、という記載があるように、この装幀はこの歌集のためにあるものなのだろう。読後に再度表紙を眺めると、なお、この歌集と響き合っていることがわかって、涙が出そうになる。カラフルで軽やかで、ちょっとせつない、「ナイス害」という歌人のことをたくさん考えることができる、とても良い歌集だったと思います。また、雪舟えまさんによる解説もご本人のあとがきも、この歌集を読み解く上でのおおきな手掛かりとなる、良いものでした。わたしは今まで、「ナイス害」ってだれなんだ!??とずっと思っていて、というのも、作品を呼んでも、おどけて笑う姿のその先が見えなかったから。なんだかおもしろいしすごそうだけれど、この人はいったい誰なんだろう。その答えの1つが、この歌集なのだろうと思います。

 

君に蠅が止まって俺にもその蠅が止まって抱き合う 蠅が逃げない

木のスプーン戸棚の奥から取り出して幸せに目がくらむちゃうだぁ

プロポーズふざけてされたもんだからあれからずっと空洞でした

どうしよう君は1000%だし指から唐揚げ出るのズルいよ 

 

総評的な感想はこのへんにして、わたしなりの、「ナイス害」の姿、もといこの歌集のすごさについて考えていく。

この歌集は、いくつかの連作で構成されているが、明確な章分けはなく、読んでいてもどこかで時間や空間が変わるなどのことは感じられない。作風としては、「現実に基づいていると考えられるが、かなりイメージ寄りの世界」を描いたもので、現実に存在する生物や食べ物や場所、その他ありとあらゆることが、この歌集の中では踊り狂い、ふしぎな顔や冗談で笑わせてくる。でもどこか、それらの姿はさみしげに、わたしたちの目に映ることがあって、それの原因はおそらく「この世界が実際には存在しない」ということが、作者にわかっているからなのではないか、と思う。それらには時間も空間もはなから「存在しない」のではないだろうか。

この歌集で起こるすべての事象は別のある惑星での出来事で、それはすなわち「記憶」の世界であると考えることができる。いま、実際にはそこにない、かつてあったこと、かつていた人、それらの記憶を種として、わらわらと這い出してくるさまざまな「思い出達」の姿をこの惑星では観察することができる。

 

だれにでも耳が生えててかわいくて足も生えてて駆け寄ってくる

昼のイオンフードコートに迷い込んだ鳥が少し主役になれたこと

なんと俺、短い名前がだいすきで「手」と名乗る女の胸を揉む

序盤では絶対倒せぬドラゴンと戦うような廊下のラブホ

 
ウケるね、と笑う声が聞こえてきそうなこの情景が、歌集全体を通して見たときにどことなくせつないのは、先に述べたようにこれらが「記憶」であり、現実にはもう届かない「過去」であるからなのだろう。過去であるからこそ、その状況はより精密に茶化され、どんどん独自の成長を遂げる。たとえば、かなり特徴的なのが性を読んだ歌で、なんだかよくわからないけれど不思議と下品ではない。わたしたちの性すらも、この惑星では愉快な部品へと変換されていくのである。

 

体温を足して72℃弱の冴えない冴えない火傷をしよう

「風ってさ、風ってセックスしてるよね」太鼓の音が踵を返す

ひとつだけお願い言っていいですかスローモーションで果ててください

本日のスタメン発表します。腕、足、腰、ちんちん、ちんちん四番

 
しかし時折、ふと我に帰るような、リアルな歌も混ざっている。すべては過去の夢で、この惑星はわたしの記憶で、じゃあわたしは、どこへ行けるのだろう。その問いかけともいえるような、胸が締め付けられるような歌から、この歌集のひとつのテーマが、「喪失」であることが明らかになっていく。

 

笑いながらフェラチオしてる君の目にうつるすべてを忘れたくない

A3をどうにか折ってB4にするかのような別れ話だ

さよならを知ってる人はさよならを告げる仕草が上品でした

笑ってね 腕からクラッカーのように飛び出す猫でしたー、うん、猫でした

 

笑ったって苦しいものは苦しい。記憶には力があって、それはときどき勝手にゆらゆら動き、わたしたちのまわりで踊り始める。それはとてもおかしな踊りで、だからこそ胸が痛む。ほんとうに悲しいことは笑って話すしかなくて、それはとても、しょうがなく尊いことだと思う。

 

ここからがわたしなりの「フラッシュバックに勝つる」に対する結論なのだけれど、この歌集のすごいところはその記憶の先を作者が見ているところだと思う。記憶の先とは、現在であり未来であり、さらにこの歌集の中で作者は、それらのまだ見ぬ世界に対して「希望を語っている」。

過去を語るとき、人は少なからず諦めの気持ちを持つ。過去は、今の自分には、もうどうしようもないことで、変えようがなくて、うれしかったことも、そして悲しかったことも、何度も何度もフラッシュバックとして頭の中に訪れる。しかしながら、「喪失」が大きな題材として選ばれているこの歌集を読んだ後、わたしたちの胸に残るのはあたたかな希望で、それは本当に驚くべきことだ。

 

入り込む君の悪夢に入り込むなんだ楽園じゃないか今日も

逃げなさい思い出達よ逃げなさい素敵な人が現れたのよ

幽霊の気分で橋の欄干に立てば今夜もキャラメルの風

庭先で四季折々の幸せに語りかけてるようなきみの手

 

ことばに、未来に、希望を託す。「喪失」がテーマの作品群において、それを成し遂げるために必要なことは、「過去の尊さを信じる」ことのように感じる。ものごとの、記憶の、「君」だった誰かの、そして自分自身の尊さを信じる。「フラッシュバックに勝つる」ために、過去をふりはらうのではなく、あたたかく逃がす、または、自分自身へふたたび取り込む、という手法をとったのが「ナイス害」という歌人なのだろうと思う。

 

わたしたちにはかしこい頭があり、大事だった何かやだれかがそこにずっと住んでいる。その記憶にわらわら襲われて、どうしようもない夜がある。記憶を憎んでしまうことも、ときどきある。でも、この歌集において、「フラッシュバック」はやっぱりおもしろくてうつくしくて、そしてそれにわたしたちがとらわれる必要は絶対にない、と教えてくれる。あとがきで、作者であるナイス害は「白々しい希望」ということばを使っていたけれど、わたし個人としては、彼は実際に希望を見ていたが、それに気付いていなかったのではないか、と考えている。その点で、この歌集には非常に意義があって、おそらくナイス害は、この歌集の製作を通して、自身が見ていたフラッシュバックの惑星の、そしてそれに「勝つる」希望の、存在に気づいた。わたしは、誰かが何かを作ることの希望は、こういうことにあると感じていて、だからそのことが、涙が出るくらいうれしいことだった。そういう意味で、この歌集は非常に成功している歌集だと言えるだろう。「フラッシュバックに勝つる」以後のナイス害をずっと追っていたくなるような歌集だった。害さん、あたたかな希望をありがとうございます。お会いできる日を楽しみにしています!というきもちになった、というところで、この文を締めたいと思う。ありがとうフラッシュバック!勝っていくよ!!!

 

束の間の思い出達よ星雲を消す真似をしようよ笑えるように