空きっ腹にたましい

ほくたん はつたにむい

生活の話

さいきん、ツイッターで「もうだめ」としか呟けなくなった。げんみつには、いろいろ呟いているのだけれど大抵消してしまって、「もうだめ」が残る。

わたしの生活はというと、就職活動がじわじわとはじまっていて、北海道の都市にある実家と、そこから少し離れた町にある一人暮らしの家とを行き来して日々を過ごしている。生来の小心で保険の保険の保険をかけておきたいタイプのわたしが、まわりはたいてい院に行く環境の中で孤独に、かつ東京に比べ企業の少ない北海道で就活をするのはたいへんきびしく、毎日、まだたいていの日はどうしようもないのに、こころが軋んでいく。行きたい会社はいくら調べてもまだ10社に満たず、進まない公務員試験の勉強やみんなよりもできない学校の課題、それらが毎日ゆっくりと、なにか精神のだいじな部分をかじっているような感じがする。毎日夜はすっと寝る気になれなくて、企業情報やESの書き方、礼儀作法(これが心にくる。すでに何回かやらかしていると発覚するため)、そういったことをインターネットで調べていると空が白んでくる。ようやく寝なきゃ、と思う。翌日予定がなければ昼まで寝てしまう。なんにもない自分のどうしようもないすべてがどんどん嫌いになる。

ツイッターは嫌いだ。ほんとは短歌ランドだって。使い方の下手くそな自分が嫌い。ほんとのことや生活のことを言ってはいけない場所だって、ずいぶん気づくことができなくて、ひどい使い方をしてしまったことがなんどもあった。たくさんの人を嫌な気持ちにさせて、嫌われたのだと思うし、そのうちの数人はわたしのツイッターをフォローして監視し続けているのだと思う。誰だかはわからないけれど、見つけて問い詰めたいとかは思わないけれど、それがインターネットだから。ごめんなさい、と思う。

初谷むいももはやわたしを救ってはくれない。わたしはわたしの才能を信じていて、だから書けるけれど、わたしはいなくても世界は変わらない。あたりまえのことだ。わたしの思うよりもみんなは初谷むいを知っていて、でもみんなわたしが誰だかほんとは知らない。初谷むいなんて存在しない。いるのは根暗でちょっと文が得意などうしようもないよわっちいわたしだけで、初谷むいはわたしの代わりに生きてはくれない。それはとてもくるしいことだった。

ことばを組み立て、きれいなものを作るのは得意だし好きだ。わたしはもうだめだ、と思うとき文を書く。それは短歌だったり詩だったりこういう文章だったりする。ことばはわたしを救っているのかもしれないけれど、わからない。毎日毎日、もうだめ、思うけれど、ほんとは何もだめじゃなくて、それがとても嫌だった。

 

もともと考えていることをうまくしゃべれない方だったので、こうして文章にするとすっとするのは理にかなった話だ。文を書いてゆくと、わかったことやわからないことがあって涙が少し出た。泣くと疲れてよく寝られる。なんにもつらいことはないはずなのに、ぜんぶがしあわせなのに、こんなに胸が詰まるのはなんでなのか、やっぱりぜんぜんわからない。とりあえず日記を書いてみました。もうねようとおもう。がんばります。