空きっ腹にたましい

ほくたん はつたにむい

良香の話

勝手にふるえてろ」を見ました。原作をかなり昔に読んで、とても好きだったこととおおまかなあらすじだけ覚えていて、評判が良かったから。ネタバレが多いため、未観賞で観る予定のある方はやめておいたほうがいいかもしれない感想のメモです。

 

あらすじなどは割愛するのだけど、とても良い映画だったようなきがします。お話自体や、ヨシカの心の動き、ストーリーの説得力や意味でいうとおそらくやっぱり原作の方がいいのだろうけど、やさしい映画で、とてもよかった。

とくにヨシカが、道行くちょっときになる人々と心を通わせている(という妄想)シーンがとても良くて毎回笑ってしまいました。わたしたちは日常にたくさんの人々を目にし、すれちがって、その人たちが「誰か」である、そのことに気づくことはあんまりないような気がします。ヨシカは、彼らのことを「キャラクター」として無意識に消費している。ヨシカの世界で、当初ヨシカにとってほとんど全ての人間はただのキャラクターで、人間ではなかったのだと思います。(ここがかなりオタク的思考で、ちょっとせつない。)同僚のくるみに対してだけはキャラクター消費ではなく思っていたように思うけれど、それはたぶん、本物のくるみと接する機会が多かったから。わたしにとっての「友人」である「来留美」としての認識が成功していたからであるように思える。(でももしかしたらそれも不十分だったから、最後のブチ切れになったのかもしれないけれど。)ヨシカは、後半で彼女自身が気づくように、他人と距離を取りながら生きてきました。誰とも近づかないことで、きずついたり、自分自身をつよく認識することをこわがっていた。この作品は、話が進むに従ってヨシカの周りの人々がそれぞれに人生のある「誰か」なのだときづかされてゆくのですが、とくに、隣人で、映画オリジナルキャラクターである「オカリナ」さんの存在がとても印象的でした。いつもオカリナを吹いているため心の中でのあだ名として「オカリナ」と呼んでいた隣人の本名が「岡 里奈」(漢字あってるか微妙ですが)だったと知る。ふしぎな隣人にも生活があり、感情がある。そのほかの登場人物よりも先行して、ヨシカは彼女のことを「誰か」だと認識して行くように思います。ヨシカの家が燃えかけた時、「死なないでー!!!」と叫ぶオカリナさんは、オカリナさんというよりも岡里奈さんでした。そして最後、妄想の中での友人だったコンビニ店員が、オカリナさんの恋人であることが発覚します。人々には生活があり、そしてなにより自分自身もキャラクターではなく、生身の人間である。二人の恋人を持つヨシカは存在せず、世界におびえながらも生きてきて、生きてゆく、「良香」として今じぶんはいるのだ、と気づいて「ニ」もとい「霧島くん」と抱き合って映画は終わります。

 

「こじらせ」と一言で言えばそれまでだけど、必死に生きてゆく中で、自分も、他人もただしく認識できていない状況になる、ということはあると思う。水の中にいるように、すべてと距離をとって心の中の変わらないものをだいじにして、生きてゆくことは可能だと思うし、そうやって生きることが正解であることも、あると思います。でもきっと、手っ取り早くとおくにいくためには、少しずつでも自分や誰かのことを知ることなのではないかと、わたしはこの映画を見て思いました。わたしは誰かにとっては必要で、誰かにとってはどうでもよくて、そんなことはあたりまえだけれどでも、そのことに気づかなければ、特に前者の「誰かにとってかけがえのないわたし」にきづくことは、正確には出来ないのかもしれないと思います。

ちっちゃいことに傷ついたり、よろこんだり、そうやって生活は進む。生きることはかわいいことである。コメディタッチで進む映画はとにかく明るくて、観終わった後にじわっとあたたかさがありました。主演の松岡芙優さんがとても素敵で、特にショックで「ぁあぁぁあ…」しか言えなくなるところとかすごく良かった。演者の方みなさんが魅力的でした。服装とかもかわいくて画面もすてきなので、なんだか積極的に人におすすめしたくなる映画でした。

 

解釈などは全体的にわたしの妄想なので、それちがうんでないか?とか思われる方もいらっしゃると思うけれど、とりあえずわたしの感想は以上です。感想いろいろ調べてみようかなと思います。いい日だったな。人生がんばります。