空きっ腹にたましい

ほくたん はつたにむい

最後の発明その発光・わたしはかなしかった

メリークリスマス、という言葉を二十四日に使うべきか二十五日に使うべきかわからないままに二十歳になってしまったわたしはそんな簡単なことも人に聞けないようなかわいい女の子でしかも処女で、二十四日の浮かれた夜を結局「メリークリスマス♡」と誰にも言えないで歩いていた。回数を忘れるくらいに口に出したおかげでばっちり覚えている住所、そこに住む眉毛のかたちがきれいな男の人、その人に会うための服と化粧と靴と鞄をガラスの反射で確認しながら胸の高鳴りを確認する。ああ、ヒロサキユウゴのうちがすぐそこにある!ヒロサキユウゴの最寄りのセブンイレブン!生存への感動で息をするときに「ひゅっ」と実体のある音がする。わたしは凡庸な感じにかわいくそれを自覚しているのでそこそこにモテるのだけれど、特定の恋人はおらずなんとなくふらふらしていて、そんな人生における唯一の渇望というのが、このヒロサキユウゴなのだった。

 

🎄

 

何故ヒロサキユウゴのうちへ向かうのか、というと闇鍋をするためである。クリスマス、闇鍋。これがどの程度ありふれたことなのかは全く分からなかったが、ヒロサキユウゴがそういうからにはそうするしかないのだ。闇鍋。ググった。「闇鍋(やみなべ)とは、それぞれ自分以外には不明な突飛な材料を複数人で持ち寄り、暗中で調理して食べる鍋料理(wikipediaより)」暗中で調理するまでが闇鍋なのか。ねぎは切って持ってきた。だいじょうぶ。手は切りたくない。というかそういう問題ではない死にたくない。というか勘違いでなければわたしたちはふたりきりで闇鍋をする。闇鍋デートである。楽しいのか。ヒロサキユウゴはなにがしたいのだろうか。どんなものを入れたとして、自分が二分の一食べるのである。迷った末に普通の鍋っぽい素材に加えてこんにゃくゼリーを買ってきた。ヒロサキユウゴが喉を詰まらせて死なないといいが。

ヒロサキユウゴの家に到着する。チャイムを押すと彼がのそりと顔を出す。眉毛が格好いい。「おう」と言われる。すこし、顔が熱くなるように思う。なつかしい冬のようなにおいが彼の部屋の匂いだった。

「あがれよ」

「ありがとう」

靴を脱ぐ。冬のにおいが強くなる。冬の、これは灯油の匂いだ。なつかしい。なつかしいね。

「なつかしいね」

「なにが?」

わたしはヒロサキユウゴが好きだ。それはヒロサキユウゴがわたしの思想を操っているから当然と言えば当然のことなのだけれど。

 

🎄

 

ヒロサキユウゴ。彼は無名の天才少年だった。小六でサイコキネシスをあやつり中二でテレパシーの原理を解明した。彼のそれは大いなる科学の結果だったもののいささかオカルトに寄っていたためこのいくつかの発見は明るみにはでなかった。ヒロサキユウゴはおとなしく賢い子供だったため、彼は部屋でゆるゆるとものを浮かせながら、これはあまり人には言わない方がいいものだと感じていた。そしてそもそも、彼は科学者よりも詩や小説を書く大人になりたかった。あるときからヒロサキユウゴがは科学をやめた。決心をした彼はある年のクリスマス、ありとあらゆる発見や発明品をガソリンスタンドの跡地で泣きながら焼いた。かなり寒い冬の夜だった。灯油の匂い、照らされるぬれた横顔。それを見ていたのがわたしだった。彼の発明をよろこび、彼の浮かせたポテトチップスをかじったのがわたしだった。きっかけは簡単で、放課後の教室、小学校の同じクラスだったわたしが彼の机の上にあったぴかぴかするボールを落としたことだった。落下した瞬間ボールは発光、その光に当たったわたしの白い靴下が一瞬で桃色に染色され、忘れものに気づいて戻ってきた彼のおびえるような瞳を見たその瞬間わたしは恋に落ちた。そしてそれはたぶん、ヒロサキユウゴも同様で、その日からわたしは彼の唯一の助手となり、彼のすばらしい発明を見つめる瞳は四つに増えたのだった。

 

🎄

 

ヒロサキユウゴの部屋は狭く、しかし片付いていて、石油ストーブの熱でほどよく暖かかった。

「鍋のなかみ、」

ヒロサキユウゴと再会してからこうしてお互いをしっかりと見る機会はまだ二回目だった。中学校の頃はどちらかといえば華奢で小さな印象だった彼の、色白だけがそのままにまるでクマのように大きな男になっていること。わたしの視線に気づいて彼が途中で言葉を切り、困ったように笑った。

「……ちゃんと持ってきた?」

「うん」

久々の会話でため口がいちいち引っかかる。

「闇っぽいものも?」

「うん、ベースは何鍋なの」

「トマトにした」

「なんで」

「闇っぽいだろ、それにクリスマスだし」

「なにそれ」

彼ひとりでいっぱいになってしまうような小さなキッチン。

「あったかいのとつめたいのどっちがいい?」

「なんのはなし?」

「飲み物」

「あなたの飲むものを一緒に飲む」

「相変わらずくだらない奴だな」

彼が電気ケトルの電源を入れる。少しずつ、水のうめくような声が部屋に充満し始める。

 

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信じてほしかった。と思う。それは今でもそうだ。ヒロサキユウゴはだんだんわたしを好きになった。それはわたしも同じだった。なんてことないクラスメイトだったのに、ちょっとしたあんなことがあっただけで、そしてそのあと少しの時間を共有しただけで、とりかえしのつかないことが起こる。わたしも彼もかわいい人間だった。そしてヒロサキユウゴは恐れた。わたしが彼を裏切ること、発見を言いふらして彼の立場を脅かすこと。なにより、わたしが彼のもとからいなくなること。当然だけどそんなことを当時からわかっていたわけじゃない。約十年かけて見つけたのだ。不安定な時期の不安定な不安が原因でなければ、彼がああいったことをした理由は、今でもわからないままだ。

 

🎄

 

「電気消すぞ」

パチン、とスイッチが押され、部屋の中は暗くなる。そとの青色の夜の光だけがわたしたちの鍋を照らしている。ひとしきりの思い出話を終えて、わたしたちは鍋を眺めていた。彼の合図で様々なものが音もなく投入されていく。暗闇にシルエットだけしか見えないそれは気持ちが悪いくらいに食べ物には見えなかった。真っ赤な鍋。トマトジュースの匂いがする。カセットコンロの火、ストーブの火、ちろちろと炎としての輪郭を見せている。液体が鍋に投入される音。一体何なのだろう。わたしたちはいったい何を食べるのだろう。

「二人鍋で食中毒になったら心中みたい」

「べつにお前とは死にたくないよ。そういうの入れたの?」

「入れてない、安全鍋」

彼がくくっと笑う。わたしもえへえへ笑う。鍋、任せてごめんね、と言う。別にいいよ、と彼が言う。

「全部入れたから、蓋するよ」

ぐつぐつと言う音が不意に低くなる。部屋の空気もだんだんと煮詰まり、お互いの呼吸音が無限に反射する。

 

思い出話の中に、発明品のことは出てこなかった。

 

🎄

 

彼が彼の発明品を燃やしたその日、おそらく彼の不安定はピークに達した。わたしにとって彼はすばらしい科学者でなければならないのだと彼は信じていた。だからそうでなくなった途端に、わたしが自分から離れていくと思った。それは恋心の終わりであり、同時に裏切りであった。わたしは想像する。あの夜。帰りのこと。彼は石油ですこしぬれた手でわたしの手首に触れた。ひんやりと湿った彼の瞳を見た。直後、スローモーションのように彼が手に持っていたなにか硬い、たぶん金属工具の類でわたしの頭を殴った。鈍痛の中わたしは目をつむった。殺される、とは不思議と思わなかった。力の抜けたわたしを彼は地面へ寝かせ、少しの荒い呼吸音のあと、左手、親指の爪の間に激痛が走った。血が抜けていくとき特有の冷え、そして何かが挿入されたらしい違和感。彼はわたしの指を持ち上げ、口先へ近づけた。

 

「おれとのことを、忘れてください。

 

おれのことを、ずっと、忘れないでください」

 

彼は確かにそう告げたのだった。

 

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左手、親指の爪の裏側。何か薄緑色のものがあり、それはたまに光った。蓄光のストラップのようにそれは安っぽく、美しかった。

「わたしの爪、」

わたしは暗闇の中でほの暗く光りだした爪をヒロサキユウゴの方へ突き出した。

「かわいいでしょう」

目が慣れてきた暗闇の中でヒロサキユウゴが目を細める。

「そうだな」

「知ってるでしょう」

「知ってるよ」

その機械、すなわち彼の最後の発明がどういう仕組みなのかはわからなかった。しかしその言葉は呪いのようにわたしの中でずっとうごめいていた。あの日以降、どのようにだったかはもう覚えていないけれどわたしたちは疎遠になり、別々の高校に進学した。わたしは彼のことを時々思い出した。どうしても忘れられなかった。彼の発明のことは急速に記憶から薄れていった。実をいうと彼の発明の歴史はわたしの記憶から得られたものではなく、当時の日記を暗記しただけの話だ。(日記の存在は彼の誤算だっただろう。)彼と過ごした日々のことを忘れる中で彼自身のことだけはずっと鮮明だった。だから大学の構内でたまたま彼とすれ違ったときに確信をもって気づいた。フルネームで呼んだ。彼はおそれるようにゆっくりと、でもたしかにこちらを振り向いた。何食わぬ顔で驚きと再会の喜びを語り、連絡先を交換して、わたしたちは今、闇鍋をしている。

ヒロサキユウゴが今、わたしの手首をつかんで、ゆっくりと口元に近づける。きっと彼はわたしが彼の呪いを知っていることを知らない。だから彼は安心しきっているだろう。そして怖がっている。自分のしたことに。わたしが今、ここにいることに。彼は口を少し開け、しかし何も言わないままにわたしの指を口に含んだ。呪いは解かれない。きっと彼はずっと、呪いを解かない。

わたしはヒロサキユウゴのことを「本当に」好きで安心した。知ってたよ。あなたが埋め込んだ機械のこと。最後の発明。あなたのことが好き。こんなものがなくても好き。好き。好き。好きだよ。

「マミカ」

ヒロサキユウゴがわたしの名前を呼ぶ。ヒロサキユウゴはわたしのことをきっと一生知ることはないのだろう。一生そばにいるとしても、いつかわたしに飽きてしまう日が来るとしても、わたしの気持ちを知ることは絶対にないのだろう。ヒロサキユウゴ、かわいそうだね。あなたのことを愛しているよ。

「マミカ」

暗闇の中で、ヒロサキユウゴがわたしにキスをする。かたちのよい眉毛。鍋の匂いと彼の唾液の匂いがむせかえるようだ。彼は鍋に何を入れたのだろう。たとえばそれが毒ならわたしは死ぬ。それでもいいと思った。彼がもうこわくなくなるのならそれでもいいと思った。わたしはこのまま処女を失っちゃうんだろうか。仰向けになると窓の外に月が見えた。夜の穴みたい。もしかしたら今までの話はぜんぶ遠い昔誰かに頭を殴られたわたしの妄想で、ヒロサキユウゴに愛はないのかもしれない。たまたま再会した幼馴染とセックスをしようとしているだけなのかもしれない。ありふれた大学生のクリスマスの出来事。そのあとわたしたちは付き合うかもしれないし、ひどいことを言われてなかったことにされるかもしれない。でも好き。それだけはほんとうだ。それならなんかどうでもいいや。顔が離れる。ヒロサキユウゴがくちびるをなめる。たぶん彼はくちびるについたわたしのリップクリームをなめていて、それはすこし甘いのだろう。甘い?と思う。口には出さない。月、いつもより大きいな、と思う。

 

わたしはかなしかった。