読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

空きっ腹にたましい

ほくたん はつたにむい

テレパシーの話①

短編

人を好きだっていうのは、とても幸福でかわいいことだとおもう。高校に入ってから2年とすこし、わたしには思い人がいて、そしてそれはたぶん叶うことがずっとないものだったけど、心を求めないことを知ってからはずっと幸せだった。先生の指輪はいつも外されていて、それが白衣のポケットに入っているのをわたしは知っていたし、それがいつもその布をすこし変形させていることをいとおしく思っていた。ほんとうだ。彼の愛がたしかに存在して、誰かと微笑んでいること、彼が彼の家のクローゼットで大切な人とネクタイを選んでいる様、その想像はわたしをくるしく、それでいて満たしていった。ほんとうに、そうなのだ。わたしはわたしを、ぜったいに軽蔑したくなかった。先生に軽蔑されたくなかった。わたしの価値判断は、それだけって言ったってよかった。

うしろめたいことは、たった一度、誰もいない生物室で自慰をしてしまったことで、黒いリノリウムの机に、ふやけた指でハートマークを描いたときだけすこしだけ涙が出た。甘い甘いせいよくは遥か彼方へ遠のいて、それ以来わたしは先生の白く長い指を見ても、ふうんとしか思わなくなって、ただ彼のすこし鼻にかかったような声を耳に閉じ込めるように目をつむっていた。届かなくたっていい、届いては軽蔑される。それでも、わたしは彼のお気に入りになるために狂おしい努力をしたし、彼のテストでは確実に満点近く、かつかわいらしいミスをして心配もらうことを目標としていた。ただ、すこしでいいから、近づきたい。つまらない願いがあった。遠い遠い電波が通じるように、好きな人がわたしのことを考えたときにぴこぴこと通知が来ればいいのになあ、って考えていて、それを七夕に願ったら叶ってしまった。これはそういうお話だ。

星型の白い傷跡のようなものに気がついたのは七夕の次の朝で、朝着替えるときに胸元に一つ、シールのようにそれはあった。直感的に、願いが叶ったのだと、わたしは気づいた。朝、生物部の当番に向かうと、白衣姿の彼はすでに学校に来ていて、わたしに向かって薄く微笑んだ。

「ハネダ、おまえ僕と同じ大学行くの」

年齢不明だが深い笑い皺ともえくぼともつかない何かが、彼を笑うと数段階年老いてみせた。

「そうなんです、ご存知なんですか」

「おまえはお気に入りだからね、そりゃあさ。さっき模試見たけど、いい感じだね」

「先生のことを知っている人は、まだいらっしゃるでしょうか」

おきにいり、という言葉だけで心臓がとろけそうに波打っていた。頓珍漢なわたしの返事に彼は困ったように笑った。

「ゼミの先生なんかは、いるんじゃないかな、たぶんだけど。どうして」

「なんでもないんです」

あなたにとっては、と思う。彼の立ち去った生物室で制服をめくると、痣は大きくなっていた。たぶん、彼がわたしのことを考えれば考える分だけそれは大きくなる仕組みなのだ。不思議と疑う気にはなれず、わたしはぼんやりとそれを見つめていた。心には限りがない、身体には限りがある。それがすこしだけ怖かった。

 

 

 

続かないかもしれないので、そのうち消すかもしれません。夏っていいな。