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空きっ腹にたましい

ほくたん はつたにむい

影の話

ずっとむかし、好きだった男の子に「かげ、うすいよな」って言われたことがあった。それは明らかな悪口だったので、やめてよ〜とかなんとか返したと思うんだけど、かれはいっとう真面目な顔で「いや、存在感とかではなくて、影。大丈夫?」って言ってわたしたちの下を指差した。なるほど、そんなはずはないのだけどわたしの影はいつもより青味を帯びて、うっすらとしていたように思った記憶がある。

 

昨日道を歩いていたら影がうすくみえて、絶対錯覚なんだけど、急にそんなことを思い出して笑ってしまった。8月11日生まれで、「はいぃー!の日だよ」とよくわからないことを提案していた。笑い声がひゃひゃひゃだった。噛み癖があるから爪がとっても短い。黒目が大きくて、整った顔をしていた。いくつかの秘密を作ったこと。なぜかかれの公文式の100点のプリントをもらった。変な男の子だったけど、ものすごく好きだった。かれがいればどこでもいけると思っていたし、かれがいなければどこにもいけないと思っていた。両方とも、まちがっていたけど、すごいことを考えていたな、と誇らしくなる。

 

かれとはいろいろなことを話したし、どれもが面白かっただろうなあと思うのだけど、大抵のことは忘れてしまって、くだらないいくつかのことだけ覚えている。たとえば、体育で、男女分かれて長距離走をした日のこと。わたしは運動音痴で、ぺこぺこ初夏のグラウンドを走っていた。ビリの方でゴールしたのではないかと思う。教室に戻って、夕方になって、たまたま隣のクラスだったかれに会ったとき、「今日走ってたね」と、いきなり言われた。

「何の話?」

「体育」

「みんな走ってたけど」

「うん、走ってた」

たぶん、みてたよ、って意味だったのだと、しばらくしてから気付いた。わたしはあれ以上のささやかで適切な愛をいまだに知らないかもしれないなって、これを書きながらおもっていてすこしさみしい。うん、すごい愛だった。ぜったいに、誰がなんと言おうと、少しひそめたあの声は愛だったって信じてる。ずっと忘れたくないな。きみは忘れているだろうけど。

 

元気かな。元気ですか。どんな大人になっているかな。

 

 

雨の日の公園 今思えばめっちゃ最強な握手だったよね  ね(初谷むい)